今日は足を運んで、木曽町にある義仲館に行きました。
歴史に詳しい人には知っていると思いますが、
木曽義仲のことで、別名、「朝日将軍」と呼ばれて、
源平合戦で活躍した武将の一人です。本名、
源義仲。
まず、門をくぐったら、義仲と
巴御前(ともえごぜん)の像が迎えてくれました。
入場料300円払って、館内へ入りました。
館内は撮影禁止じゃないので、撮りました。
進んでいくと、
以仁王(もちひとおう)からの
平氏追討の令旨を読み上げる叔父の
源行家(みなもとゆきいえ)と令旨を聞く義仲と家来たちが再現されています。屏風の後ろには
巴御前がいました。
次に義仲の生涯を絵画で解説されています。
一枚目
義仲の幼名は駒王丸(こまおうまる)で、1154年、
源義賢(みなもとのよしかた)の次男として
武蔵国大蔵館(埼玉県
比企郡嵐山町)で生まれ、1155年、駒王丸が2歳の時、父義賢が頼朝の兄、
源義平に討死されて、母の小枝御前と共に木曽へ逃れ、中原兼遠(なかはらのかねとお)の養育を受けながら育ちました。
二枚目は、
1166年に駒王丸が
元服して、そのときの儀式です。