もう恒例ですが、チーメンの皆さんが私の問題を答えたので、チーメン問題の解答と解説します。
今回は兄はどっちの問題で、三国志から出題しました。
司馬懿仲達しばいちゅうたつ)の息子達です。
司馬昭(211~265)は、兄の司馬師の死後、家督を継承し、263年に蜀を滅ぼし、265年に息子の司馬炎(しばえん)に託し、病死しました。その司馬炎は、同年に魏を滅ぼし、280年に呉を滅ぼし、三国時代にピリオドを打ちました。
馬良の眉毛には白く生えていたので、「白眉」の故事を生まれたと思われます。
馬謖(190~228)は、5人兄弟の末っ子で、南蛮討伐後、司馬懿を官職を剥奪させ、左遷させたのも馬謖が考えた策で、諸葛亮の後継者と期待されていました。しかし、228年、先帝劉備の悲願である北伐で、諸葛亮に先鋒を命じられましたが、功をあせったのか諸葛亮の指示に背いてしまい、蜀軍は大敗し、大敗の責任をとり、愛弟子の馬謖に涙を流しながら処刑しました。
「泣いて馬謖を斬る」という故事もここから生まれました。
曹植(192~232)は詩人で、曹操の葬儀に参加しない事を理由に、兄の曹丕に処刑されるところを、母に止められて、曹丕は「七歩のうちに詩を作れ」と難題にふっかけられ、それが出来ないと処刑すると言われましたが、
以上で、今回のチーメン問題の解答と解説を終わります。