チーメン問題 解答と解説 その10

もう恒例ですが、チーメンの皆さんが私の問題を答えたので、チーメン問題の解答と解説します。
今回は兄はどっちの問題で、三国志から出題しました。
まず、司馬師(しばし)と司馬昭(しばしょう)で、正解は司馬師でした。
司馬師司馬昭は蜀の軍師、諸葛亮孔明と互角に戦った、
司馬懿仲達しばいちゅうたつ)の息子達です。
司馬師(208~255)は、251年父の司馬懿が病死して、家督を次いで、254年に魏の皇帝、曹芳を廃したり、専横の限りを尽くしましたが、255年、弟の司馬昭に託して死去しました。
司馬昭(211~265)は、兄の司馬師の死後、家督を継承し、263年に蜀を滅ぼし、265年に息子の司馬炎(しばえん)に託し、病死しました。その司馬炎は、同年に魏を滅ぼし、280年に呉を滅ぼし、三国時代にピリオドを打ちました。
次は馬良(ばりょう)と馬謖(ばしょく)で、正解は馬良でした。
馬良(187~222)は、馬謖も入れて兄弟が5人いて、郷里では「馬氏の五常」と呼ばれていました。
馬良の眉毛には白く生えていたので、「白眉」の故事を生まれたと思われます。
劉備の義弟、関羽の弔い合戦である夷陵の戦いで、馬良も乱戦の中、戦死しました。
馬謖(190~228)は、5人兄弟の末っ子で、南蛮討伐後、司馬懿を官職を剥奪させ、左遷させたのも馬謖が考えた策で、諸葛亮の後継者と期待されていました。しかし、228年、先帝劉備の悲願である北伐で、諸葛亮に先鋒を命じられましたが、功をあせったのか諸葛亮の指示に背いてしまい、蜀軍は大敗し、大敗の責任をとり、愛弟子の馬謖に涙を流しながら処刑しました。
泣いて馬謖を斬る」という故事もここから生まれました。
最後は曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)で、正解は曹丕でした。
曹丕曹植は乱世の奸雄、曹操(そうそう)の息子達です。
曹丕(187~226)は220年に、曹操が病死して魏王となり、そして、約200年も続いた後漢王朝を滅ぼし、魏の初代皇帝となりました。
曹植(192~232)は詩人で、曹操の葬儀に参加しない事を理由に、兄の曹丕に処刑されるところを、母に止められて、曹丕は「七歩のうちに詩を作れ」と難題にふっかけられ、それが出来ないと処刑すると言われましたが、
曹植は詩を読み上げて、処刑は免れました。曹植の詩には哀愁に満ちた詩を多く残しました。
以上で、今回のチーメン問題の解答と解説を終わります。